――――ASKA プロデュース ――――

『また夢を行く』/ 宇佐元恭一

宇佐元 6年くらい前の新宿厚生年金のコンサートに行った時に、楽屋で電話番号をもらったんですよね。
「電話しろよ」とか言われて。で、たまたまその番号に電話したんです。そうしたらASKAさんが出た。
ASKA よく居たよなぁ(笑)
宇佐元 運命的でしたよねぇ(笑)ホントに。久々だから電話しようかなあっていう感じだったんですよ。
あとでスタッフに言われましたから。「よく居ましたねぇ。」って。
「ふだんいませんよ。、第一電話出ませんから。」って。「我々でもつかまらないのに」って(笑)
ASKA 東京にいないしね。ツアーとかで。それである時テープ持って現れて、いろんな話をしたんだよね。
気にはしてたんだ。状況があまりよくないのは判っていたし。
僕のまわりにも状況が悪い中でもやってる奴は一杯いて。
たいてい仲間だからいろんな話をするじゃない。
そういう時も宇佐元の事なんかボーッと思い出したりしてたのね。
宇佐元 全然ヨコシマな気持ちはなくて電話したんですよ(笑)
周囲でチャゲアス最近すごいねぇというとか耳に入るし。
そうか、あ、そう言えば久しぶりだなぁっていう。
でも僕チャゲアスのデビューコンサートをバイトで仕切ってたんですよ、実は。
ASKA 福岡市民会館だ。
宇佐元 バイトで色々やらしてもらってて、客席の後ろの方でずっと見ててうらやましくてね。
やっぱり東京だよなって(笑)昔の話ですけどね、今の僕にとっては前世記憶に近いものがある(笑)
ASKA 『平日パラダイス』っていうアルバムのテープを持ってきたんだよね。
5、6曲目の前で聞いたと思うんだけど、その後話始めてゆっくり一人で聞くよって事になって。
すごくいいメロディもあるし、キャッチーなフレーズもあるのに、どうしてここにいっちゃうのかなっていう
曲が多くて。エラそうに聞こえると嫌なんだけど。
たぶん同じ感性のメロディ・メイカーとして理解できるものと、できないものがはっきり別れたというか、
いいものにピンと来たというのか。
やっぱりこの人は表に出れなかったけど、そのポイントにタッチさせてもらえば、
これから先おもしろいことになるんじゃないかなって思ったっていうのが一番大きいんだと思う。
宇佐元 恥ずかしいけど、涙出ましたよね。そんなこと言われた。
だってノン・プロモーションだったわけだから、アルバム作っても誰も反応しないんだから。
そんなツライ状態なんですよ(笑)これだったらケチョンケチョンに言ってくれる方がまだマシだと
思った。そういう生き物なんだろうなぁ(笑)
だから今回レコーディングやってて、現場のスタッフが”これ気持ちいいですね”って言ってくれ
たりすると、もう、疲れも苛々も消えてしまう(笑)いろんな人がアイデアを言ってくれるのが嬉しくて
しょうがなくて、自分で譜面書いてても、それはカバンの中にしまっておいて、みんなのアイデアが
出なかったらこれを使おう、みたいな感じですから。
ASKA 物を作ってて、これっきゃないと思うのって怖いよね。
たとえば悩んで息詰まってる時に、横からポンと出されたアイデアにTRYしてみる事で見えることも
あるしね。それもあるよな、1回TRYしてみようという気持ちが音楽には必要なんだと思う。
僕は4年前にロンドンで痛い程経験したんだけどね。
むこうのミュージシャンって、やめようって言わないよ。こういうアイデアはこうやればいい、いや僕は
これをやりたいと言うと、じゃこのやり方でTRYしてみようって。良かったら素直にOK、これ使おう
って言うし。その辺があるから、今回もずいぶんわがまま言ったよね。俺の気に入った、気に入らな
いで曲をチョイスさせてもらうって。1年前で何曲書いた?2〜30曲は書いたよね。
宇佐元 ボツになったのだけでも30はある(笑)気持ちいいくらいにNOが出た(笑)
ASKA たえず言ってたよね。メロディー多いよ。お前とか(笑)
宇佐元 後から聞いたら、ASKAさん、人から言われてることを全部俺に言ってたらしいという(笑)
ASKA でも、どうしてこれが表に出てこないんだろうって言うのが、曲の中にあるのね。
曲って最終的にブリッジが曲のクオリティを上げると思うんだ。メロディーとメロディーをつなぐものが
気持ち良くいけるかどうか、それが曲の気持ち良さになったりするんだと思う。
そこを信じて一緒にやってくれるんなら、きっと宇佐元は表に出れるんじゃないかと思ったのね。
肌で感じる世の中の感性ってあるでしょ。みんなが今、この曲聞きたがってるいう。
そういうのは自分の中でアンテナを張り易い時代になってるし。
そこで感じたものを宇佐元のメロディーを生かしながら作りこんでいくのが、僕の仕事で使命だって
感じたんだよね。
宇佐元 ホントに初めてでしたよね。こんなに作ったの。詞のむつかしさもあらためて教えてもらった気がする。
まさに教えてもらった、というだけですね。叩きのめされて(笑)口惜しいから歌詞カードに番号
ふってあるんだけど、14稿っていうのがあった。アレンジャーの澤近さんに「OK出てないんだ」
っていう話をしたら「2稿ちか3稿とかもう1回出してみたら、ASKAさん忘れてるかもしれないよ」って。
1回恐る恐るやってみようかと思った事もあったけど(笑)
一番言われたのは、シーンが飛びすぎなんだっていうことと、これはキャッチコピーの羅列だという。
ASKA 詞のブームってあるじゃない。僕がデビューして4〜5年って、キャッチコピーのブームがあって、
それからまたいろいろ出てきて。でも古いんだよね。
詞ってどれだけ相手の中に入っていけるかだと思うし、自分の思い浮かべている情景描写っていう
のは生きてきた家庭の違う聞き手には、違うものとして入ってるはずなんです。
だけど、景色は人によってちがってても、感情って一緒だから、その感情さえ流れればいいな、
と言う。どこかで止まると流れないし、その止まる一行を探すのが大変なんだよね。
宇佐元 それが企業秘密という(笑)でもレコーディングも変わりましたよね。
だってプリプロって知らなかったんですよ。初めてやりましたから(笑)
ASKAさんたちがロンドンに行く前にプリプロやってて、へーそういうことをやるんだ。
でもこれってレコーディングじゃん(笑)その前の自宅録音のテープを聞いてもっと驚きましたけど。
ここまでやるのかって。僕も負けず嫌いですたから、よし、プリプロやるんだって。
僕デビューした時、アナログの24チャンネルの時代でしたからねぇ。
今回96チャン使ったわけですけど。
ASKA 変わったのは外側だけじゃないしね。
宇佐元 音楽自体変わりましたよね。10年前だったら許されない転調なんかも、今大丈夫だし。
この転調って、世間の人、大丈夫かなぁなんて心配すると、ASKAさんが「お前、大丈夫だよ。
今どきの転調はみんなすごいよ」って言ってて、僕は最初恐る恐るでしたけど、いろんな人の曲
聞いても、そういう曲女の子が平気で歌ってる(笑)『また夢を行く』なんかもそういう曲ですよね(笑)
あのコーラスダビングの時にも「コンサートで歌ってるみたいに歌ったら?」って言われて。
それから歌が変わりましたからね。
ASKA 宇佐元は僕がみててもすごい変わり方してるよね。変身って言葉がピッタリくるくらい。
やっぱり男って30を越えると考える事も多いしね。その中で30を越えて前に出ていった時にキチン
と勝負できないと駄目だと思うし、かと言って若い時みたいに何が何でもみたいじゃなくて、今はこ
れは敢えてやらないもたいな使い分けができる年でもあるわけじゃない。僕も々30代としてそういう
使い分けをしながらやれたら、共鳴できる所は多くなると思う。一緒に驚かそうよっていう感じだった
よね。企み、というか(笑)驚く人たちの顔をみるのが楽しみだよね。
宇佐元 名前変えたいって言ったんですよね。ASKAさんに。
宇佐元恭一っていろんな所で使ったから変えたいって。いや、お前はこの名前の方がいいって(笑)
ASKA 宇佐元恭一ってもう立派な芸名になってるって。
宇佐元 でもホントにいい時期にスターロ切れたって言うのがあります。
このポイントがズレてもダメだったと思うんですよ。
ASKAさんの所に行ってやろうって決まった時からもう1回始まった、みたいな思いがアルバムの中
にきれいに収まってますよね。奇跡が奇跡を呼んでいるというか。
奇跡の中で仕事をしてるから次の奇跡がわかるような気がするんですよ。だって最初から奇跡みた
いなものですよ。レコード会社4つ目ですよ(笑)前世の事は忘れましたけど(笑)
ASKA 宇佐元って運が悪かったって、人から言われたりしてたと思うのね。
でもそうじゃなくてそれはもしかしてここに来るための運だったんじゃないかなって思うんだよね。
ここからどうなるか分からないわけだし。リリースにしてもいい曲全部出しちゃえって本気で考えた
もんね。シングル次々リリースして2曲づつ3枚出して、どうだあと3枚出たらいきなりベスト盤だ、
みたいなのもいいかって(笑)
宇佐元 シビれますよ。最初に書いた時のもので残ってるのはタイトルだけみたいな(笑)
1曲書くのにもこんなに力いれて書いたことない。『また夢を行く』も違うタイトルにしようとも思った
んですよね。ちょっとそのまますぎるかな。俺自身や(笑)でもスタッフの女の人が
「“夢から醒めてまた夢を行く”ってすごくいいわね」って言ってくれて。
そうやってちゃんと受け止めてくれる人がいるんだって、自信つきましたけどね。
ASKA 売れてほしいよね。ホントにそう思う。